Snow Drop

花言葉は~希望を叶える~

食卓のない家

   

 

ギャンブル依存症者の家族の前に立ちはだかる大きな壁の一つが、

「世間体」という亡霊です。

家族は、世間体を恐れて、「誰かに知られてしまうのではないか?」という恐怖感から、

誰にも相談できず、家族の中だけで解決しようと奔走します。

その結果、事態が悪化し、依存症が進行していきます。

家族は、本人に依存症を自覚させる、最大のチャンスである「借金」、

さらには依存症が進行し「窃盗」「横領」といった犯罪に至った場合も、

世間体を恐れ、なんとかこの事態を収めようとしてしまいます。

また、日本の社会では「家族が責任をとるのは当たり前」といった風潮もあります。

実際、友人知人の借金では、本人が返済できないとなると、

この友人知人たちは、当然のように家族に返済を要求してきます。

また、事件の示談金を親が払って当り前という風潮は、

被害者の方々のみならず、司法関係者の皆さんもお持ちです。

弁護士さんも、裁判官も、検事さんも「示談金を支払ったか否か?」

が重要であって「誰が払ったか?」は問題ではありません。

罪を犯した当事者と家族は一蓮托生にみなされ、

支払いを拒めば一斉に「非常識な親」と責め立てられます。

けれども、真に成熟した社会、真に更生や回復を望む社会というものは、

自分の行動に対する自己責任を望むものではないでしょうか?

「依存症になったことに自己責任を求めるのではなく、

依存症から回復することに自己責任を求めて欲しい。」

社会の皆様に、この違いを理解して頂くことが、私たちの切なる願いです。

今から、35年も前に、このテーゼを投げかけ、大きな波紋を呼んだ作品があります。

ご存知の方も多いと思いますが、その作品は円地文子さん著「食卓のない家」。

連合赤軍に参加し、殺人犯となってしまった長男に対し、

「成人した子供の人生には、親が責任を持つ必要はない」という信念を貫き、

被害者への謝罪も、息子への面会も、積極的に弁護士をつけることも拒否し、

自身も、職を辞することをせず、マスコミをはじめとする大衆感情と闘いながらも、

日常を生きていく、父親の姿が描かれています。

私が、この作品を初めて読んだのが30年前。

強烈な衝撃を受け、自分も絶対に「個」を大切に生きようと思いました。

けれども、実際にはその思いが貫けませんでした。

35年前に、円地文子さんが投げかけたテーゼ、

現代社会で今も尚、変われずにいます。

私たちが、新風を吹き込めたらと願い、仲間と力をあわせて歩いています。

家族が尻拭いをやめること。それが、依存症からの回復の第一歩なんです。

syokutaku

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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